堤 大輔のプロフィール(長文です)

1970年代生まれ、福岡県大川市に生まれました、父は九州電力、母は美容室経営、2学年下の妹の4人家族の家庭で育ちました。

小学生時代

大川市は大川栄策で有名な(誰も知らない?)家具の街で自分が通う小学校は1300人以上のマンモス校、学校町内共に行事の多い地域でした。平地で坂のない土地なので用水路が多くザリガニやカニ、魚なんかをよく採りに行ったり、仕掛けた罠を夜中3時に見に行ってカブトムシ採りに行ったりする堤少年でした。

父も母も7人兄弟で親族が非常に多くて月に1、2回は従兄弟や婆ちゃん家に泊まりに行ってました、今思えば結構可愛がってもらってたしお年玉なんかもいっぱいもらってた(はず)

当時の流行りはプラモデルとゲームウォッチ(古っ!)ゲームはぼちぼちでプラモはかなりはまる、どうやら自分の自由人さはこのころからだったみたいで、友達に誘われても自分のやりたいこと優先で断ったりしてました。

転機は小学校5年はじめ頃、母の美容室の店舗移転で隣町の柳川へ引っ越し、転校迷ったけど修学旅行も近くバスで同じ小学校に通うことに、今思えば引っ越しとけば良かったなと、そのまま卒業

中学生時代

中学は小学校別だったので知り合いゼロスタート、どんな感じか忘れたけど結構緊張してた気はします、身長は特別低く137cm(通知表参照)現在169cm。勉強は中の上くらい、部活ですが自分は陸上やろうと思ってましたが何故か父親の一言で柔道部へ(何故?)

そこの先輩方は恐ろしくて、顧問も月一来るだけの上級生天下、部活中もxxやxxなどここでは文字にできないこともたくさんやらされて、事件も多数でした、農協の横のお好み焼き買い出し生かされる時が安息のひと時でした、なぜ辞めなかったのかって?怖いからに決まってるでしょ?そうなんです、自分は相当なチキン野郎(腰抜けってこと)なんです。だって辞めるっていうとボコボコでしたからね、先輩引退してからは平穏なゆる〜い部活で、わいわいやってた気がします。

ちなみに自分は中1の時にパソコンとオーディオセットが欲しくて1年半の間新聞配達経験あります。

高校生時代

高校は地元の偏差値57?くらいの公立高校でした。中学の恐怖政治部活で懲りたんで高校ではとにかくゆっるーーいのがよくて水泳部、とにかく行事が多くて新歓とか夏の海水浴とか宴会???とかね、基本部活は夏の平日だけであとはなんもなかったんで、連れの家にずうっと入り浸ったりしてました。

女子に関しては入学前に決めてたことがあって、入学式で女子チェックして一番好みの子にソッコーでtel番聞くことにしてて、見事成就しました。たしか付き合ったの1年半くらいだったかな?身長がスラーっと高くてすごく不釣り合いだったけど自分を選んでくれて感謝感謝でした、いまどうしてるのかな〜?

3年で進路決める時どーしよーか迷っててネクタイしたくないし、親もやってるし、女性相手だし、美容師やってみよーな軽い感じで決めました、親にも勉強辞める宣言しました、思う存分気ままに過ごしました。日数ギリだったけど無事に卒業しました。

美容師生活スタート(福岡時代)

親のサロンの取引ディーラーさんの紹介で2店舗面接うけて片方落ちたので必然的にサロンは決まり、初出勤前日にバタバタと引っ越しして夜10時、あることに気づく、目覚ましない!そうだ、電話で起こしてもらおう、電話もない!携帯もコンビニもない時代ですからね、そりゃー焦りますよ、考えた結果出た答えが<寝なければいいじゃん>←一番ダメな答え

想像通り初日からの遅刻、もういくかどうか迷って、結局行って「すいません、寝坊しました」と、で、オーナーから最初の一言「よく来れたな」、、、ですよね〜

まあここでは3年?4年くらいお世話になって、他にごはん屋のおじちゃん、BARのオーナー、お客さん、友人、たくさんの人にお世話になりました、そっからいろいろあって(ここはおいおい書きます)じゃあ東京いって美容師やろーって思って面接日だけきめて飛行機乗りました、そんときトイレに全財産と飛行機のチケット入ったバッグ忘れたんですけど心優しい誰かが届けてくれたんですよねーお礼とかいらないからって言伝残して、いつか会えたらちゃんとお礼言いたいです。

東京で美容師スタート

東京着いてすぐ青山のサロンに面接に行って、返事は2週間後って言われたのでどうしようかと、ビジネスホテルも泊まったけど引っ越し敷金必要でお金もなかったのでとりあえず野宿とかしてました。結局合格もらって働いたのですが、まあきついきつい、当時は地方と都心の美容師の格差がかなりあったのでワタワタの毎日でした、テレビで見る方々もいっぱいいらっしゃってて「やっぱ東京ちがうな〜」なお上りさん状態でしたね。

で、10ヶ月目で血尿でて退社しました、借金もあったので配膳のバイトやってたけど短時間多いしドカンと稼ぎたかったんで軽井沢の太⚪️洋クラブってゴルフ場で住み込みでレストランの配膳やって(当時時給1450円)、4ヶ月半で220万円ためました。多いときで1日平均13.5h休日2日でやったりとか。山の上でコンビニ車で30分、街まで1時間だったのでみんな髪なかなか切れなかったんで夜に順番でカットしたりしてました。そこには海外留学するため、食いつなぎ、プロゴルファー目指して(休日プレーオッケでした)、などいろんな事情で来てる人たちが30人くらいいました。

そっからバイト美容師3ヶ月やりながらサロン探して美容師再スタート、ちょうどカリスマ美容師なんとかブームで盛り上がってて、そこのサロンもグイグイ伸びてスタイリストになってからは毎月5〜6本雑誌の撮影させて頂いたり美容業界紙やらせて頂いたりと18年間非常に貴重な体験をさせていただきました。

Marcoオープン開業

特段自分では絶対にサロン持ちたいって思いなんかはなかったんですが、なんですかね?やはり人間年齢重ねると幸せ基準も変わるしステージも変わる、そこに自分のステージがなければ作らないと先が見えないって思えてくるんですよね。

ちょっと怖さもあったし、綺麗にも辞められなかったけど、スタートしたからには素っ裸の状態からスタートするしかないと腹くくりますからね、そんなとこが簡単な(長い?)自分の個人史なんですが、いままでのこと、いまのこと、これからのことを綴っていきます。